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ドイツに関係があったりなかったりすることの記録、です。

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苦手な歴史に、ほんのちょっと取り組む(バーデン・バーデン編)

バーデン・バーデンという町に、
ロシア人が多いのはなぜか。
そんな疑問から、あれこれ調べた結果。

どうやら、もともとロシアの皇帝家とバーデン家の間には、密接な関係が。

1762年に戴冠し、ロシア帝国の女帝として知られるエカチェリーナ2世。
日本ではエカテリーナと呼ばれてもいますが。
その孫で、父亡きあとロシア皇帝となった、アレクサンドル1世。
1793年に、このアレクサンドル1世のもとに嫁いだのが、
初代バーデン大公の長男カール・ルードヴィヒの娘、ルイーズ。

バーデン大公が治めていたバーデン大公国というのは、
ドイツ南西部の現在のバーデン地方を中心とした、
ドイツ帝国の一地域。
ロシア皇帝の妻となるべき女性の出身地域ということで、
ロシア帝国の皇族、政治家、文化人たちには、「バーデン」の名が知られ。

そのバーデン大公国の中でも、
温泉のみならず、カジノや劇場、競馬場などの娯楽施設も充実し、
高級ホテルが並ぶバーデン・バーデン。
19世紀には、
「Sommerhauptstadt Europasヨーロッパの夏の首都」と呼ばれるほどの人気を博し。
ロシアからもこぞって観光や保養に訪れる人が。
そんな中からこの地に住みつくようになった人も。

当時の町の人口は5000人程度だったにもかかわらず、
滞在ロシア人が5000人を数えたというから、
石を投げればロシア人に当たるような状態。
石なんか投げちゃいけませんが。

バーデン・バーデンに家を持ち7年間住んでいた、
ロシアの文豪ツルゲーネフ。
彼が最初にバーデン・バーデンを訪れたのが、
1856年7月。
このホテルに3日間滞在し、その際トルストイに面会したのだとか。
0402140054.png
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そんなツルゲーネフの作品『けむり』(1867)には、
バーデン・バーデンの町や、温泉客の様子が描かれているそうで。

ロシアがソビエト連邦だった時代には、
学校の必修科目としてロシアの古典文学を学ぶことになっており、
このツルゲーネフの『けむり』を通して、
バーデン・バーデンの名がソビエト中に知れ渡ることとなり。

そういう歴史があるところに持ってきて、
ここ最近のロシアの経済成長と共に、
Neu Reich(ニュー・リッチ)とちょっと皮肉っぽい名称を与えられた人々が、
バーデン・バーデンのホテルや不動産をせっせとお買い上げに。

さらには、移住民の親族やらが次から次へと訪れては、定住するように。
結果、現在のようなロシア人の多い町になったのでは、と。

バーデン・バーデンは、
その昔、古代ローマ人によって、温泉町として開発され、
ドイツ語で「温泉」「入浴」を意味する「バーデン」と呼ばれるようになり。
つまり、もともとの名前は「バーデン」だけ。
ただ、他にも「バーデン」という地名があって、
区別をはかるために「バーデン地方のバーデン」という意味で、
バーデン・バーデンという名になったらしい。

ちなみに、地元民は「バーデ・バーデ」と発音。
「バーデ」としか言わないことも多い。

ロシアとバーデン・バーデンに関しては、こんな動画も。
ドイツ語ですが。


でも、温泉とロシア人だけじゃない、バーデン・バーデン。
小さすぎず、大きすぎず、魅力を発掘するのに適度な規模の町。
この町を愛した音楽家のことや、山の上の見所とか。
ネタはまだまだ尽きないのです。

参考URL: 
http://www.russen-in-baden-baden.de/
http://www.d-r-kultur-gesellschaft-baden-baden.de/
http://de.turgenev.de/



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